イキり高校生の自己満日記

高校生になったへなちょこ男、いったいどんな生活をしている?何に苦しむ?その内面を吐露する。

ドラムは肉体労働 10月27日

10月27日

 まいど閲覧とご評価いただき、ありがとうございます。

  1、ドラムは肉体労働

  2、高校数学の証明は高度

  3、友人は大切に

 

 1、今日は、私が大枚をはたいて購入したシンバルを持っていって、軽音楽部のバンドの仲間たちと演奏した。そのシンバルというのはすべてで5枚だが、このシンバルというのは金属の板であるから、めちゃくちゃ重たい。米の袋のような重さである。これとともに学校用のバックも持っていたから、朝から土踏まずが張って、痛かった。運搬だけでも大変なドラムなのだが、その役割自体も大変だ。2本の木製スティックを両手に持って、シンバルはもちろん、タムやスネアを強く響かせるように叩かなくてはいけない。そして足ではバスドラムを踏んで叩く。もうおわかりいただけると思うが、ドラムは全身運動である。話は変わるが、生活の中での動作や、スポーツなどの運動量を数値化した表が保健体育の教科書や資料には載っているのだが、この表の中に、「ドラム演奏」が載っていて、なかなか負荷のある運動であるとして載っている。ドラムは好きだ。だが、その運動自体は負荷が強いのだ。そういう楽器をやって、帰りもめちゃくちゃ重たいシンバルを持って帰ったので、もううちに帰ってヘトヘトだった。今も朦朧としながら日記を書いている。でも、激しい運動を伴う演奏をしているということは、ロックが好きな私としては激しい音を出せているということだろうから、良いんじゃないかとも思った。

 2、最近は、数学の授業で図形の話をされることが多い。図形に関する定理が登場すると、定理の証明、そして定理を活用して行う証明、本当にたくさんの証明を扱う。しかし、いずれも本当にひらめいて解けるような証明ではない。証明というのは、何度も解いて身につけた経験や美意識をもとにしてでしか解けないのだろうなあと、そう強く感じた。実は、定理の証明などを求める問題は、トップクラスの難関校出ない限りは出ない、という話を数学教師より聞いた。それだけに、やはり証明というのは難しいものなのだなあと思った。中学校とは相当環境が違うと、もう半年たって気づいた。

 3、私は人間関係に関してのトラウマを、小学校のときのある経験から抱えている。だから、私は「友達」というものがなんなのか、そのときからわからなくなってしまって、周りの人たちのうち、どれだけの人が友達で、友達じゃないのか。そういうことを考えていた。でも、そんな私には、こいつだけは、絶対に友達と呼んでもいいと革新している人間がいる。彼とは2日後に遊ぶという約束を、突然に設けてしまったのだが、そういうような関係なのだ。まあ、こういう友人がいるということは、大切だと思う。人というのは、一人で複数の社会(自分のクラスや家庭、バイト先、部活など)に属して生きるものだ。だが、そのうちのどこかの社会で、必ずなにか上手く行かないこととか、その社会が生きづらく感じることがあると思う。そういうときに、社会のことは忘れて、互いに楽しく過ごせるような人間がいるということは、人間の精神の安定のためには、必要不可欠な条件なのではないかと、そう思った。友人の存在は、人生において大切な役割を持つだろう。