イキり高校生の自己満日記

高校生になったへなちょこ男、いったいどんな生活をしている?何に苦しむ?その内面を吐露する。

休止のお知らせ 11月4日

こんばんは

今日は日記と言うより、お知らせです。

最近、あれこれ考えることが多くて、頭がはたらきません。自分の世話で精一杯で、むしろその世話すらままなっていないかもしれません。

ですので、日記をネットにあげる余地もないのです。また、余裕ができたら、投稿を再開しようと思います。何ヶ月も休むわけではないとは思いますが。

ギターが楽しい 11月3日

11月3日

 こんばんは。前日は、疲労していて眠ってしまったため、日記をつけ忘れました。

 

 1、ギターが楽しい

 2、無知は罪でなくて、幸せ

 

 1、最近はギターの練習や、マルチエフェクターでの音作りに挑戦している。1万円しかしないマルチエフェクターで、同等以上の値段のするエフェクターの音を再現するレシピがネットにたくさんあるので、それを利用して、かっちょいい音を自分で追い求めている。ただ、何より楽しいのは、やはり基礎練習である。基礎練習はどの楽器でもあるもので、つまらないものであるという印象だが、ギターは、私としてはそんなに苦しいものでもない。ギターは弦を押さえて弾いていれば音の変化があるから、私の本職であるドラムの基礎練習に比べて、楽しいのである。ドラムは楽しくない。メトロノームを聴きながらバチを交互に振り下ろして、若干の音の違いやふり幅の違いを少しづつ修正する、なんの変化もない単純作業なので、なにも楽しくない。そういうところではギターの基礎練習のほうが楽しい。ちなみに、なぜドラム担当の私がギターの練習をしているかというと、ギターを理解しておいたほうが良いと思ったからだ。バンドのメンバーと会話していると、ギターやベースのやつがドラムのことについて、多少持ち合わせている知識をもとに私と演奏について話してくれるのだが、私が彼らからギターやベースの話をされても、そして彼らがその話をし合っていても、私はギターもベースもまったく知らないから何も言うことがない。そして「知らんからわからん」というなんとも、音楽が本当に好きなのかどうかを疑うようなかんじのことを言って会話を拒否している。しかし、これでは音楽好きとしてよくない気がする。というかよくない。ギターもベースも理解しなくては、ドラムがどのように演奏するのがいいのか。これがわからない。他のパートのこともわからなくては合奏は務まらない。ギターを練習して、いずれはベースも練習してみたいところ。

 2、最近、家庭の複雑な事情について親から知らされて、混乱しているところがある。当然である。今まで知らなかった、知る由もなかったことを突然告げられて、今までと同じように思っていたことを考え直す必要を迫られたのだ。それで私が思ったことは、そんなことは知らなけばよかったということだ。もとより家庭については複雑な部分が多かった。でも、思っていた以上にそれは、相当こじれていた。それを知らされて、私が今まで普通にしていた、親類とのかかわり方や、ふるまい方について、再考しなくてはいけなくなってしまった。話がずれるが、私の担任の教師は、無知は罪だ、という言葉が口癖である。無知という言葉の意味やニュアンスに違いはあれど、おおよその場合、無知とは幸せなことではなかろうか。私も今回聞かされたことを知らなければ、のうのうと生きていられたのに、今までどおりにぼんやりと生きられたのに。しかし、現実はこれを知る前後では本質的には変わらないのだ。それを私が知っているか否かというだけなのだ。だから、どうせ幸せでいられるなら、知らない、という方を私は選びたい。まあしかし、無知が罪であるというなら、それを知ること自体が償いであり罰なのだろうか。その意味ならば、無知は罪だというあの言葉の辻褄もあわないこともないか。

ライブでトぶぞ!! 10月31日

10月31日

 こんばんは。まいど閲覧とご評価、ありがとうございます。

 

 1、ライブでぶっ飛んだ

 2、メタルもロックもいいな

 3、学校はただの通過点でも偏差値比べの対象でもない

 

 1、今日は軽音部のライブであった。いままでたくさん練習した曲をようやく人の前で演奏できて、たくさんの人から声援をもらって、技術をほめてもらって、私はもう、うれしくてたまらなかった。今もその余韻を感じている。あんな経験をした後なので、理由がよくわからないが、私の胸は妙に澄み渡っていて、徐々に余韻が覚めてきて鬱っぽくなってきている段階ではあるが、なかなかに悪くない気分ではある。しかし、数時間前までは本当に幸せが絶頂に達していたのだ。仲間と音楽ができて幸せだ。中学校の三年間、私は人に聞かせるような場もないのに、家でシコシコと電子ドラムをたたいて勉強していた。それが高校に入った途端、あれよあれよと話が進んで、ステージに立って自分で音楽をやっている。この状況に驚いている。僕は、今音楽をやっている仲間に出会えて、本当によかったと思っている。

 2、実は、ライブのあとに褒めてくれた人は、同級生のみならず、さまざまなパートの先輩方からも褒めていただいたのだ。そしてなんということだろう。先輩から、ともにメタル曲をやらないかと、オファーをいただいたのだ。もう、即答で首を縦にふった。先輩がやりたいという曲も、私の好みで、楽譜も早々に購入してしまった。ロックがドラムへの入り口だった私は、だんだんハードロックに目覚めてきて、最近はメタルに行き着いたのだ。だから、メタルの勉強がてら、先輩と激しさの頂点に至った音楽ができることが、本当にうれしい。

 3、前述のような経験から、私は高校への見方を改めた。高校とは、偏差値や進学へのアプローチなどによってのみ評価されるべきで、それでしかないと思っていた。でも、他の学校に行っていたら、今日オファーをしたくれた先輩も、一緒に演奏できた仲間とも出会えていない。このような経験は、偏差値や進学への取り組みにかかわらず、この高校でしかできないわけだから。私はどんな高校へ行っても、経験できたあらゆる物事にこそ、価値があるのではないかと思う。今日は本当に幸せな一日だった。

豚足大好き 10月30日

10月31日

 こんばんは。まいど閲覧とご評価いただきありがとうございます。

 

 1、東方文花帖楽しい

 2、豚足がおいしい

 3、いいドラムセットは叩いていて楽しい。

 

 1、前日、友人と秋葉原で遊んだと書いたが、実は東方の原作を買っていたのだ。東方のストーリーや設定については、ネット上ではあまりに有名だから、私が本当に知らないゲームをやってみようと思った結果、文花帖という選択となった。ただ、文花帖本編にはキャラどうしのからみというものがないから、知らないキャラクターについて知ってみるということはできない。文については詳しくしれるが、それくらいだろう。ただ、テンポが非常によく、通常の作品のように、何度も何度も長ったらしくステージを繰り返していくようなものではないので、新鮮な感覚で、中毒性の高いゲームだと思った。東方であそこまで没頭したのは初めてかも。ちょっと特殊で難しいけど、お試しあれ。

 2、私の大好物は豚足。おいしい豚足を求めてさまよっていた私は上野、アメヤ横丁にたどり着いた。そしてそこのある店で買った豚足が本当においしかった。冷えている豚骨はかちかちなのだが、温めてみると、脂やコラーゲンをたっぷり含んだ身がプルプルとしていて、食べてみるまでもなく、やわらかくておいしいということがわかる。

まあ、それを食べてみるとなんとおいしいこと。私の祖父が豚足好きで、私も祖父から初めて豚足を食べさしてもらった。それで私は豚足が好きになったのだ。その祖父が豚足のうまい精肉店を知っていて、その豚足をたまに送ってくれるのだが、それにも負けず劣らずという味で、私は今後も上野で豚足を買おうと決めた。豚足を気味悪がって食べない人もいるが、何事も、特に食べ物なんかは好奇心をもってなんでも食べてみるほうがよいのだ。何がおいしいのか、見た目や先入観というものは、味のしないものだから、それをもとにしてはわからない。味覚や嗅覚だけが、食べ物の良しあしをはかってくれるというものだ。つまり、迷ったら片っ端から食べてみるのが一番なのだ。

 

 3、今日はバンドのみんなと、有料のスタジオを借りて演奏した。きちんと金を払って機材を使うと、非常に演奏の心地がよい。ドラムはたいていの場合、スタジオに置いてあるドラムを使うから、スタジオの機材に完全に依存しているのがドラマーなのだ。だから、スタジオのドラムの具合がいいと、あたりを引いた気持ちでとてもうれしいのだ。今日のドラムセットで特に良いと思ったのは、キックペダルとタムの張り具合である。キックは、ペダルがなかなか重たかったのだが、反動をうまく利用できれば、非常に使い易く、音もしっかり出るとわかった。また、タムの張り具合は、バチの跳ね返りが非常に心地よくて、連打が容易だった。キックペダルについては、私はアイアンコブラをつかっているので、重さはなかなかあるはずなのだが、どうにもなかなか重くない。なので今度、ビーターを変えてみようと思う。木製のビーターは強いアタックを出せるようなので、是非ともそれで演奏してみたい。

慈悲に感謝 10月29日

10月29日

こんばんは。毎度閲覧とご評価いただきありがとうございます。

 

 1、模試は尊い

 2、友達とボケっと遊ぶ

 3、やさしさが染みる

 

 1、今日は模試だった。模試にいざ向き合ってみると、どういう問題が解けるかどうかで人と人の学力が測られているかということが伝わってくる。何ができればよくて、何ができないとだめなのか、模試を意識して日頃学習すれば、そういうところを意識しながら効率的に学習できるのではないかと気づいた。思い返せば、中学3年の時も、模試に合わせて勉強していた。あの勉強方法が、高校生は1年の時から使えるとは。まあ、模試に尻を叩かれるようにして勉強していれば、基礎はもちろんのこと、実践的な学習もできると思うから、心もちとしては非常に良いかもしれない。

 2、模試の会場がなかなかいい感じの場所だったので、そのあと友達と待ち合わせして遊んだ。彼は年に似合わず子供みたいなところがあるので、私がそれについてグチグチ言いながら彼とはなんだかんだ楽しくゲームを買ったりラーメンを食べたりした。

彼みたいな友人がいるから、私はあまり思いつめずにボケっと生きていられる。自分のまわりにボケっとしてる人を一人は置いておいたほうがいいかもしれない。自分が考えすぎたり思いつめたりしておかしくなるのを防げると思う。

 3、今日友人といったラーメン屋で私はつけ麺を注文した。そして、スープがおかわりできると思っていたので注文してみたら、なんとおかわりではなくて、継ぎ足しで、もともとあるスープを出汁で割ることしかできないといわれ、私は空になったスープのお椀と、残った味のない麺を見てドキリとしたが、厨房のアジア人のお兄さんが「大丈夫ですヨ」といい。特別にスープを作ってくれて出してくれた。出汁が五臓六腑と心にしみわたる思いであった。向こう様は商いでいらっしゃるのに、私に良くしてくださったから、本当に慈悲の心というもので私に接してくれたのだと思うと、私は人にやさしくしてもらえたことにとてつもない喜びをおぼえた。私は自分が不幸だとか、満たされていないとか思っている節があるが、意外と日常的にこういうはからいを周囲から受けているのだろう。だから、ひと様からよくされているのに自分が不幸だとかなんとかいうのは、私に施してくれる人たちに失礼極まりないと思うので、自分の境遇というか、環境というか、私を取り巻く状態というものが不幸だとか、不満だとかいうのはもうやめようと思いった。ありがとう。ラーメン屋のお兄さん。

もうなにもしたくない 10月28日

10月28日

 毎度ご覧いただきありがとうございます。

 

 1、もう何もしたくない

 2、メタルギターやりたい

 3、モンスターエナジー

 

 1、今の私は、無気力の極みである。それでも律儀にブログは更新しているのだが。

今日はある学校の文化祭に行ってきた。その学校は特殊な学校で、普通科ではないのだ。そういう学校なので、性質として、非常に自由な校風なのだ。制服はなくて、髪染めでもなんでもあり。文化祭ということで、ガチのコスプレをして練り歩く人もいたし、一人でなぞの展覧会のブースを開いている人もいた。その他にも、普通の学校では考えられないほど、常識に縛られない自由な活動をしていた。それを見て私は無気力になってしまった。なぜかというと、彼らとは対象的に、私は平凡極まりない普通科高校に通っていて、女子生徒がちょっとスカートの端っこを短くしただけで生徒指導部が目を光らせていて、すぐに口うるさく注意されるような学校にいるからだ。私は男子生徒で、しかもおしゃれにはまったくもって無頓着なチー牛のため、身だしなみのことで注意をされるようなことは一切ない。だから、自分ごととして不自由を感じたことはない。が、スカートの端を短くしようが、髪を染めようがピアス開けようが、そんなのは個人の勝手なのに、そんなことを制限している私の学校があまりに不自由だということは感じていた。そのような制限が学校にある事自体に、不自由を感じていた。それがずっと不満で、いつか是正されないかと、ちょこっと考えていて、それが修正されれば我々は自由だと考えていた。が、私が今日見に行った学校のような社会に、本当の自由があるんだとすれば、その自由を私の学校で模倣してみることは絶対に無理だと思った。スカートの端をちょこっと短くすることや、ピアスを開けたくらいで「自由」だと感じてしまう学校で、我々が真の自由を享受する喜びとか、自由そのものを理解することは絶対にできないだろう、と思い、絶望したのだ。

私はそういう制限に対しての不満を忘れないためにパンクロッカーを気取っているが、スカートの端を折る程度の自由を求める反抗者がどこにいる。だから、もう音楽をやることの意味も薄れつつある。自由を求める者としての活動はできないほどに、私がもう洗脳済みだった。私はもう疲れた。バンドを結成してうれしかった。でも、バンドの仲間とやりたい音楽が完璧に一致するかといえば、そんな訳はない。結局、合わせている感は否めない。こんな茶番、意味もない。自由なんてどこにもない。私は疲れてしまった。

 

 2、さて、音楽をやる気力もないといったが、私がカッコいいと思う音楽が存在しているのは事実で、それを思うように表現できないことに無気力であるというのが先に述べたことだ。つまり、私に技術さえあれば、バンドなんてとっととやめて自分で好きなように自己満オ○ニー音楽をできるのだ。だから、私は自分が本来やりたい、メタルやハードロックのような音楽をやるための楽器の演奏技術を身に着けたい。ということで、まずはギター。これをやりたい。メタルギターをやりたい。そういうわけで、練習だね。自分で音楽つくりたいね。やっぱり。まあ、もう少ししたらネットに自作音楽をあげてるかもしれない。全く違う名義で。だから、その時は、もしかしたらあいつかな、、、というふうに思っておいてほしい。まあ、実現するかどうかは全くわからないけど。

 3、最近イトーヨーカドーで売ってる500ミリリットル缶のモンスターエナジーにはまっている。ガポッ、という太い音をたてながらプルタブを下ろすのが気持ちよくて、ジュバジュバ飲んでもすぐにはなくならないボリュームが魅力的で、ついつい買ってしまう。あのケミカル以外の何でもない味わいがクセになってしまう。もう末期患者である。でも、ぜひ飲んでみてほしい。満足感でいっぱいになれる。

ドラムは肉体労働 10月27日

10月27日

 まいど閲覧とご評価いただき、ありがとうございます。

  1、ドラムは肉体労働

  2、高校数学の証明は高度

  3、友人は大切に

 

 1、今日は、私が大枚をはたいて購入したシンバルを持っていって、軽音楽部のバンドの仲間たちと演奏した。そのシンバルというのはすべてで5枚だが、このシンバルというのは金属の板であるから、めちゃくちゃ重たい。米の袋のような重さである。これとともに学校用のバックも持っていたから、朝から土踏まずが張って、痛かった。運搬だけでも大変なドラムなのだが、その役割自体も大変だ。2本の木製スティックを両手に持って、シンバルはもちろん、タムやスネアを強く響かせるように叩かなくてはいけない。そして足ではバスドラムを踏んで叩く。もうおわかりいただけると思うが、ドラムは全身運動である。話は変わるが、生活の中での動作や、スポーツなどの運動量を数値化した表が保健体育の教科書や資料には載っているのだが、この表の中に、「ドラム演奏」が載っていて、なかなか負荷のある運動であるとして載っている。ドラムは好きだ。だが、その運動自体は負荷が強いのだ。そういう楽器をやって、帰りもめちゃくちゃ重たいシンバルを持って帰ったので、もううちに帰ってヘトヘトだった。今も朦朧としながら日記を書いている。でも、激しい運動を伴う演奏をしているということは、ロックが好きな私としては激しい音を出せているということだろうから、良いんじゃないかとも思った。

 2、最近は、数学の授業で図形の話をされることが多い。図形に関する定理が登場すると、定理の証明、そして定理を活用して行う証明、本当にたくさんの証明を扱う。しかし、いずれも本当にひらめいて解けるような証明ではない。証明というのは、何度も解いて身につけた経験や美意識をもとにしてでしか解けないのだろうなあと、そう強く感じた。実は、定理の証明などを求める問題は、トップクラスの難関校出ない限りは出ない、という話を数学教師より聞いた。それだけに、やはり証明というのは難しいものなのだなあと思った。中学校とは相当環境が違うと、もう半年たって気づいた。

 3、私は人間関係に関してのトラウマを、小学校のときのある経験から抱えている。だから、私は「友達」というものがなんなのか、そのときからわからなくなってしまって、周りの人たちのうち、どれだけの人が友達で、友達じゃないのか。そういうことを考えていた。でも、そんな私には、こいつだけは、絶対に友達と呼んでもいいと革新している人間がいる。彼とは2日後に遊ぶという約束を、突然に設けてしまったのだが、そういうような関係なのだ。まあ、こういう友人がいるということは、大切だと思う。人というのは、一人で複数の社会(自分のクラスや家庭、バイト先、部活など)に属して生きるものだ。だが、そのうちのどこかの社会で、必ずなにか上手く行かないこととか、その社会が生きづらく感じることがあると思う。そういうときに、社会のことは忘れて、互いに楽しく過ごせるような人間がいるということは、人間の精神の安定のためには、必要不可欠な条件なのではないかと、そう思った。友人の存在は、人生において大切な役割を持つだろう。